探偵はBARにいる

まず主演の2人がいいね。

大泉洋は三枚目のイメージが強いけど、クールぶっているし。それも普段三枚目の役者がそれを押し殺して二枚目ぶるギャップを楽しむという単純な図式ではなくて、自分の三枚目の素質も自覚しながらハードボイルドに演じているところがいい。

それをグータラでクールでどこか間の抜けている(なのに空手の師範代)松田龍平が、面白みを倍増させている。

このコンビ、もしかしたらもうちょっと続くか?

鍵となるのが、電話での依頼主である“コンドウキョウコ”という女性。彼女は結局最後まで姿を現さないのだが、この声を誰がやっているのかずっと考えていた。

霧島が殺されたことで復讐に燃える(と当初は思われていた)沙織なのか、後半明らかになるが、近藤京子は霧島の先妻(竹下景子)との娘でその妹(吉高由里子)だったのか。とある映画評には、声の主は最初からバレバレだったとあったが、俺には全然わからなかったから(小雪としたらいつもの落ち着いた声を変えていたように思ったんだが)、その点も頭の中に?マークを浮かべて観ていた。

その後は、偽装右翼の暴力団とのやりとりがあったり、大阪の暴力団が北海道に乗り込んできたり、その岩淵組長(石橋蓮司)の息子(本宮泰風)と沙織が再婚するということになったりと、話がどんどん先に進む。話の進ませ方も、2人の絶妙なコンビネーションがあるから飽きさせることはない。

それと、札幌を中心とした話なんだけど、北海道を観光目的みたいに前面に出していないところも好感が持てる。ヘタすりゃ、意味も無い観光スポットのショットが入るからね。

しかし、謎解きという部分では目新しさがある訳ではなく、ちょっと弱いかな。それよりも、2人の掛け合いと小雪や他の出演者の絡みで観る方が面白いと思う。

面白そうな映画だと思っていても、その通り面白かったという映画は少ない。期待はずれに終わったり、期待していなかったのに面白かったりという方が多い中で、これは期待通りの面白さだった。

原作はなかよし

コクリコ坂からの作品のテーマが、今回の震災のことも鑑み「上を向いて歩こう」となったと聞いた時、ちょっと違うんじゃないかなと思った。

「上を向いて歩こう」が映画の中で使用されるのは、映画の時代がこの曲がヒットしていたときだったということもあり、それは不自然ではないだろうとは思ったが、“震災を受けて”というのが引っ掛かった。

「上を向いて歩こう」というのは、歌詞を聴けばわかるが、哀しみや淋しさをこらえて、涙がこぼれ落ちないように上を向いて、しかし前に進んでいこうという前向きなだけの歌(これを、当時の集団就職で親元を離れ、一人都会に出てきた若者たちの心情に重ねて解釈する向きもあるが、その辺はわからない)。

それを、今回未だ哀しみに打ちひしがれている人が大勢いるというのに、前を向いて歩いていこうなんてことを言うのは、不遜ではないかと思ったのだ。ジブリ側の意図なのか、マスコミが勝手にそう言ったのかはわからないが、あまりにも人情というものがわかってないな、と。

原作は「なかよし」に連載されていたそうである。「なかよし」というと「キャンディ・キャンディ」でもわかる通り、ターゲットは女子小学生。原作がヒットしなかったというのも頷けるが、ジブリの連中はどうやってこの作品の存在を知ったんだろう。同じアニメ(漫画)業界だから、それなりに周りの動向は注意してるのかな。

物語は、高校の部室用の建物カルチェラタンを取り壊そうとする学校とそれを阻止しようとする生徒たちの争いと、海の俊に対する想いと家族の秘密を二つの柱として進行する

しかし、どっちつかずのような気がして。

どちらかを主にして、もう一方を従にすれば、もうちょっとメリハリが効いてわかりやすかったと思うのだが、両方を同じように扱おうとして、結局中途半端になった気がする。

どこかで読んだのだが、古いものはただ捨て去るのではなく、それを大事にしつつ今を生きることが大切だということを教えてくれるとあった。それにしては弱いな。

それと、ストーリーとは関係ないが、遠景が雑だな。

『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』鑑賞日記

J・キャメロンが「この3Dは絶対観るべきだ」と言ったようなキャッチコピーがあったが、『アバター』のときも書いたが、いくら映像技術が優れていてもストーリーが陳腐なら何の意味もない。その点、マイケル・ベイが監督だから、ストーリーは別にして、アクションでは飽きさせないだろうとは思った。

しかし、それにしても長い。2時間半もかける映画か?

ストーリーにしたって、前作との繋がりなんて殆ど覚えてないし。

子供がロボットのおもちゃで遊ぶのを、ハイテクノロジーで描写したような作品。

この映画の前に降板させられたミーガン・フォックスは、「この映画に演技は必要ない」と言ったらしいが、まさにその通り。

主役は飽くまでもロボットたちであり、体力も技術も劣る人間たちが、その前で威厳を保とうとしているなんてちゃんちゃらおかしい。あとはロボットたちの戦いの、ガシャンガッシャンのオンパレード。それよりも、こんな映画に、ジョン・マルコヴィッチが出ていることにびっくり。

彼の出演動機は何だったんだ?主要なストーリーには絡んでいなかったようだが。

しかし、いつものカルト的な演技はここでも健在だった。

同じくフランシス・マクドーマンドにも驚いた。オスカー女優がでる映画かね。

要は、トランスフォーマーたちの争いで、故郷の星を地球にテレポーテーションさせるかさせないかの戦いの話。

そこで、クライマックスでは彼らの故郷(星)が地球に同化しようと近づいてくる訳だが、あれだけの星が地球に近づいてきたのだから、重力の影響は大きいはずなのに、それは完全に無視されている。

まあストーリー的には特筆すべきことはない。

映像のテクノロジーについては、かなりの技術を使っているのだろうけど、門外漢にはさっぱりわからず。特別、ここが凄いということもなく。

ミーガン・フォックスに代わってヒロイン役をやったロージー・ハンティントン=ホワイトリーについては、キャメロン・ディアスに似ているのを自覚しているようで、かなり彼女を意識した振舞いだったように思う。

『神様のカルテ』鑑賞日記

映画『神様のカルテ』のストーリーは、一止が医者としてどう生きていくべきかを選択するもの。

地方の病院で内科医として、当直も含む激務の毎日を送っている反面、大学病院での先進医療の研究という医学には欠かせない仕事の誘いもある。

わからなかったのは、一止と榛名夫婦が住んでいる所。

古い旅館をそのまま各家族の住居にしているようだが、なぜこういう場所に住まいを設定したのか。画家の男爵(原田泰造)が家主のような塩梅らしい。

病院だけでなく、一止のプライベートな部分、仕事場ではない人間のつきあいを描写するのに好都合だったのかもしれない。今は地方に於いても、隣同士のつきあいがなくなってきているから、こういう設定をしないと無理が出てくるのかもしれないが。

一止の学生時代からの腐れ縁である砂山(要潤)は、バリバリの上昇志向のステレオタイプ。

現場で働き続けることより、エリートとしての(そう世間から思われる)仕事に価値観を持ち、進路をはっきりさせない一止にイラついている。

物語は、末期癌患者である安曇(加賀まりこ)が一止の勤める病院に入院してきたことから動き出す。

それまで大学病院での研修に参加して興味を持ち始めた上、そこの第一人者の高山教授に(西岡徳馬)にも目をかけられていたのだが、安曇はその大学病院から治療法が無いと実質上捨てられた人間だった。

彼女は、大学病院での一止の書いたカルテを見て、この人なら自分が納得できる扱いをしてくれるのではないかと思ったのだ。

恐らく、安曇と接することで、迷っている自分の進路を、上司である貫田部長(柄本明)に「後悔するぞ」と言われても、現場で生きていくことを決意するという流れなのだろう。

しかし、それまでの話の中で(というか大分前から)、彼が現場で生きていくことははっきりわかる。どちらにするのか、揺れる心理が表現されていなかった。

第一、砂山が彼のことを「悲しみを背負っている」みたいな言葉で表現していたが、その裏側に何かを抱えているという厚みが感じられない。

『再会の食卓』という映画を見て

『再会の食卓』は2010年のベルリン映画祭で、最優秀脚本賞にあたる銀熊賞を受賞した作品。

第二次世界大戦後の中国での内戦で引き裂かれた夫婦の物語。

確かにそれ自体は悲劇である。

自分たちの意思とは全く違う理由により引き離され、その後は別々の人生を歩まなければならなかった二人。

しかし、映画はその悲劇を描くだけではない。舞台は飽くまでも現代ということで、現代中国の家族のありようを映し、その意味を探るもの。

この視点が審査員の心象を良くしたんだろうな。

しかし、導入部で時代設定の計算が合わないような気がして、そのことがずっと引っかかっていた。

物語は夫婦が引き裂かれてから40数年後ということになっているが、中華人民共和国の建国が1949年だから、それから40数年後というと1990年代ということになる。

しかし2002年に開業したはずのリニアモーターカーは走っているし、ユィアーの孫娘ナナ(モニカ・モー)が使っている携帯はスマートフォンのようだったし、ちょっとずれがあるんじゃないかな。細かいようだが、こういうことが気になる作品とそうでない作品があるが、この作品は前者の方。

それと、40数年ぶりに故郷に帰ってきたら、かつての妻のことも気になるだろうが、まずは生まれ育った土地がどうなっているか、親類縁者はどうなっているかの方が先に気になるんじゃないかな。台湾での妻が亡くなったからといって、真っ直ぐかつての妻に会いに来たくなるという心理がちょっとわからない。

しかも、久しぶりに会ったと思ったら、いきなり一緒に台湾へ行ってくれという申し出。それにユィヤーも悩むことも無くYesと即答。ユィヤーの現在の旦那シャンミン(シュー・ツァイゲン)も怒ることもなく了承。だいたい、会った次の日には、リニアモーターカーの中で手を握りあっているんだもんな。

不思議な感覚だよ。

子供たちの前でユィヤーは、「これからは愛のある生活をしたい」と言ってのける。

長女は激しく抗議したが、それはまともだろう。今まで愛の無い生活をしてきて、その愛の無いところから自分たちが生まれてきたと言われれば、存在そのものを否定されたのと変わらないだろうし。

確かにユィヤーが言うように、シャンミンとの生活は、食べていくことで精一杯で愛だの何だの言ってられなかったのかもしれない。そういうことを感じる暇は無かったのだろうが、元国民党軍兵士の妻を娶ったことで、出世もできずに、しかし家族を守ってきたシャンミンの立場や愛もあるだろうに。それ以上のものが、40数年音信普通だったイェンションとの間にあったようには受け取れなかった。

シャンミンとの間に出来た娘二人は結婚しているのに、生物学的にイェンションとの子供である長男が独身のままというのも、映画的なバランスなのかもしれない。愛の無い子供は伴侶に恵まれて、愛のある子供にはそういう人は現れなかったという。

結局、ユィヤーが台湾に渡ることはなく、シャンミンとユィヤーの夫婦は新築のマンションに引っ越す。

しかし、引っ越した途端、子供たちは寄り付かなくなる。この辺はまるで『東京物語』だな。てことは、60年前の日本の家族のありようを、今の中国もなぞっているということなのかな。

イェンションをやったリン・フェンという俳優は、まるで髪の毛の生えた田山涼成のようで愛嬌はあったな。

『ブルーバレンタイン』という映画を見て

映画『ブルーバレンタイン』はある意味、男運の無い女の、ある一人の男との物語と言えなくもないだろう。

基本路線は、結婚生活が壊れつつある現在。そこに、出会った頃からの幸せな過去が挿入されるという構成。

二人の出会いは、老人介護のバイトをしていたシンディに、引越し屋のバイトをしていたディーンが声をかけたこと。特別ドラマチックな訳でもない。シンディにはつき合っている彼氏がいたが、避妊をせずにセックスをしたことでその彼に嫌気がさしていた。ディーンが面白いことを言って笑わせてくれることもあって、二人の距離は徐々に近づいていく。

出会った頃、シンディは医者を目指す優等生。家庭も、厳格という訳ではないがしっかりしている。

一方のディーンは、既に一つ所にいられず職を転々としている身分。

古い考え方で言えば、“身分違いの恋”。

男の方に引きずられ、女は自分の夢を諦め夫に合わせたレベルでの生活に移行する。そうやって、落ちていく(こういう表現が正しいかどうかは別として)過程を描く作品は多くあるが、ここではそれ程それを強調していない。

先に書いたように、破綻していく現在と幸せだった過去を同時に描くことで、永遠の愛を信じていたはずなのに、どこで歯車が狂ってきたのかを表現し、その対比の仕方が面白い。

しかも問題をやや複雑にしているのは、娘は実は元彼との間にできた子供だということ。

ディーンも本心からその娘を愛しているが、シンディは割り切れない気持ちが拭えない。

「俺達の子供を作ろう」と言うディーンを拒否すらする。

家庭が大事だと言って、仕事に身を入れないディーンに対し将来の不安を抱くシンディ。一方のディーンは、シンディから本気で愛されていないのではないかという疑念を抱く。愛すべき娘がいるのに、それはこの二人にとって“子はかすがい”とはならない。

取り立てて事件がある訳ではないけれど、じわじわと痛みが伝わってきて、観終わった後には何とも言えないほろ苦さが残る。

木洩れ日の家でという映画を見て

映画『木洩れ日の家で』はモノクロの映像である。

しかし、まるで色がついているかのようである。光と影、その濃淡がうまく噛み合って、詩情的でさえある。

91歳になるというのに、このばあさん、まあ元気。普通に階段を上り下りし、電話が鳴ると2階のベランダから駆け下りてくる。(と言っても、さすがに走ってという訳にはいかないが)

こばあさんの楽しみが、愛犬のフィラデルフィアと隣近所の双眼鏡での観察。

隣は如何にもの成金家族だし、そのまた隣は午睡を邪魔する音楽教室。近所のガキどもも、勝手に敷地に入ってきて悪さをする。

一人息子もなかなか家には寄り付かず、その家をボロ家と言うし、その嫁は陰で魔女と言っているようだし、孫娘はわがまま放題でおばあさんを敬愛している様子も無い。

それらの日常に対する不満が、彼女の生きるエネルギーのようだ。そのときの話し相手はいつもフィラデルフィア。勿論犬には彼女の言葉はわからないだろうが、気持ちは伝わっているようで、その表情が微笑ましい。

家の買収の交渉に来た男を、吼えまくって追い出したりもした。

話はそれるが、孫娘役をやった子役は肥満児。そして劇中では彼女のことを、デブ女と言わせたり、クジラのように太ってると言わせたりしている。いくらセリフだとはいえ、可哀想なもんだ。今後、性格がひん曲がんなきゃいいけど。

物語が動くのは後半。フィラデルフィアのお陰で、息子が勝手に隣の成金に家を売ろうとしていることを知ってしまった。そのとき、今までは冷たいと思っていた嫁の方が、逆にまともだということがわかる。

本来はこの息子に家を譲ろう、その前に息子夫婦と一緒に住もうと思っていたのだが、悩んだ末、孫娘と約束した指輪は嫁にやり、土地家屋は音楽クラブの共同経営者に譲渡することを決める。この二人が愛し合っているのを、観察で知っていたこともある。(以前は、寛ごうとすると、決まってうるさくすると文句を言っていたのに)

ここで、観客はちょっと溜飲が下がる思いをするのではないだろうか。

最近は、欲得を思考・行動の基準にする人間が増えているように思うが(その極端なのがモンスター・ペアレンツか?)、そういう風潮に対する監督のメッセージではないのかと思う。

コンビニで買ったオムライスについて

CZ030-300x212今日は色々忙しく晩ご飯を作る時間が無さそうだったのでコンビニに行ってオムライスを買いました。ふんわりタマゴでボリューム感があってそれで450円だったのでこれはお得だと思って買ったのです。ところが家に持って帰って早速食べてみるとタマゴの下のチキンライスの量があまりにも少なくて騙されたと思いました。おにぎり1.5個分のチキンライスしか入っていませんでした。350円の間違いではないかと言いたくなりました。もちろんそれだけでお腹いっぱいにならないので、明日のお昼ご飯にと思って一緒に買っていたカップラーメンを食べることに。

器とふんわりタマゴの見た目から物凄く大きくて中身も多いと感じたのですけれども、実際はそうではなかったということで大変良い勉強をさせてもらったと思っています。とりあえずこれからは見た目だけでなく重さなども気にしながら買うことにします。

【広告】
大阪住吉区長居にある美容室ディスアンドザットでは、カラーに力を入れています。
弊社のオリジナル「トルネードカラー」はお客様にも好評を得ています。あなたのなりたいをかなえる美容室です。KIDSルームも完備ですので親子で一緒にいかがですか?
美容室 長居店